玉置山彷徨

第1章

大阪のホテルにて

日曜の夜、ホテルの外には多くの若者がギターを片手に唄をうたっている、70年代にフォークブームというのがあったが、あのときも街には多くの若者が溢れ唄をうたっていた。
大阪は今まであまり訪れることがなかったので、ここ天王寺は若者にとって大阪の街の中でどんな位置付けと評価を得ているのだろうか?
東京でたとえると、渋谷?新宿?そんなことを考えながら乱立するビル群が建ち並ぶ窓の外を眺めていた。

「そうだった!」ZZRさんに電話をする約束をしていたことを思いだし、携帯で電話番号を捜しはじめる、ZZRさんとは今回玉置山にご一緒する約束をしてはいたが、いかんせん平日をつぶしてまで行くこの企画に、スケジュールの都合をつけるのに苦労している様子が何回かのメールのやりとりから伺い取れる。
今回の玉置山の行程も当初は数名からの打診があったのだが、日曜から火曜までの旅行日程ではなかなか仕事をしていたり、家庭を持っている人間にはきつい日程でもあり、とうとう私とZZR2人と大阪から○蔭会長ご夫妻、玉置山の神官のお母様の5人となりそうだ。
とはいえ、ZZRさんもかなり流動的であり前日あらためて連絡することになっていた。

「turururururu・turururururu」
「もしもし」
『あ、○○さん?◎◎です、今どちらですか?』
「すいません、まだ東京なんです」
『え?』
「お約束していたんですけれど、どうも行けそうになくなりました、すいません・・・
 電車のキップも用意していたんですけれど・・・」

やはり来れなくなったか?私もなんとなくそんな気がしていた、これこそ玉置山の玉置山たる所以である
昔からこの山は登る人を選ぶと言われている、といっても玉置山に縁のない人はいつでも登れるし、山を汚そうとお咎めなしである、山の禽獣と同じ扱いだそうだ。
しかし、この山に縁のある人は厳しく扱われ、何度登ろうとチャレンジしても登ることが出来ないらしい
精進潔斎、斎戒沐浴を強いられ、ひたすら心を浄化せねば参拝のお許しがでないというのだ。

『そうですか、わかりました、それではまたの機会にご一緒いたしましょう』

何かもっと言おうと思ったのだけれど言葉が出てこなかった、とうとうHP関係者は私一人ぼっちであるなんとも心細くなってきた。
ベットに座りながら”私は何でこんな所に一人でいるんだろう?”決して後悔しているわけではないのである、単純にどうしてここに私が一人いるのか不思議でならなかった。

私の玉置山との出会いは10年前に遡る、当時、平井和正氏の小説”地球樹の女神”が完結し、その小説のモデルとなった場所が玉置山であった。この小説は10巻にも及ぶ大作で後半の本のあとがきに、著者自身が玉置山について語っている。
著者自身この玉置山に魅せられてとうとう、和歌山県新宮に事務所を構えて執筆をしていたらしい。
あとがきには不思議な話が沢山載っていた、この山は古来より御利益信仰の対象となったことのない、潔癖な山で、前述の登る人を選ぶ話もそこからの出典である。
そして、この山はこの世の終わりが来るときにはじめて開かれる”ハルマゲドン神社”なのだとも、記してある。
奥吉野、奥の奥に座し、世俗の汚れを一切排していたこの山がいま開かれようとしている、というのである。この話を読んで私は是非行ってみたくなったのが10年前であった

                                       つづく
10年前のあの日

そう、全ては10年前に遡る、玉置山に行く機会を伺っていた私に好機が訪れた。
徳島に出張がある、しかし今から考えれば徳島に出張があるからといって、なんでそれが好機なんだろう?、ただ単に南に向かっているだけじゃないか。
なにはともあれ、私にはそれが好機に思えたのだった、そして出張の算段をしていて気がついたのだけれど、なんと玉置山は遠いところにあるんだろう・・・
面白がり屋で極楽とんぼの私にもさすがに大変な所へ行くんだ、ということだんだん理解されてきた、と同時にめんどくさくなってきたのだ。
こんな大変な思いまでしなくては行けないのなら今回はやめようかな?と思い始め、机の上に資料をしばらく投げっぱなしにしておいた。
と、ある仕事関係の方が私の机を覗いている
「○○さん!、(私のこと)新宮に行くんの?」
『えー、行こうと思っていたんですけれど、どうしようかと思い始めてるんですよ』
「え?○○さん是非いってきなよ!実は私、前に新宮に住んでたんだよ、いいところだよあそこは、ねー是非行ってきなさいって」
この瞬間私の中で、”よっしゃ!やっぱり行くか”と今までのめんどくささもどこへやら、もう一度、時刻表とにらめっこがはじまったのだった。

大阪から電車に乗り夜も遅い時間に新宮につき、駅前のビジネスホテルに泊まった。
翌朝、秋の高い空が広がり絶好のドライブ日より、ここから2時間の山道を運転だ、気合いを入れ直して玉置山に出発である。
国道を川沿いに走り途中から、熊野川を渡り山道に入る、くねくねと曲がりくねった狭い道を登っていく、出発時点では沢山の車が一緒であったが山道に入ってからは、前にも後ろにもそして対向車もほとんどいないくなった。時折、滝がありそこで清水を汲みに来ている人や、材木の伐採関係の人達には出会うけれど、ほとんど人の姿も見えない。
うーーんなんとなく心細い気持ちを抱きながら運転を続けていた、運転を続けるにつれて山はますます深くなり、深山幽谷の色を濃くしていく。
”あれ?行き止まりじゃないか”どうやら道を間違えたらしい。何処で間違えたんだろう、ここまで何カ所か分かれ道があったが一体何処まで戻ればいいのか、地図を見てみるが現在位置さえわからないのだから、地図を見たところであまり意味がない。
誰かに聞こうにもこんな山の中で人は見あたらない、ここでは人に会うより熊や猿に会う方が確率が高いんじゃないかと思えてくる。私の中では多分ここは玉置山だろう、いや少なくとも玉置山の隣くらいには居るんじゃないだろうか?もうこの辺でいいや、これ以上進んで迷子になったり、あとがきにあるように神隠しにあおうものなら大変である、こんな私だってまだやり残したことがたっぷりあるのだから。
もういいや、帰ろう、玉置の神霊が”お前はもうここから先は駄目だ”といわれているような気がしてきた。
そう思ったとき、向こうの方から小さなバイクがやってくる、近づいてくると郵便屋さんではないか、”こんな所にでも郵便屋さんは手紙やはがきを配達しているのか?本当にご苦労さまなことです”。
なんてことを思うわけもなく、必死に近づいて”すいません、道を教えて下さい。玉置神社にはどう行けばいいんでしょうか?”
”それは・・・・・”と郵便屋さん。
そうかあそこか、あそこで間違えたわけだ、と納得して車に飛び乗った。とんだロスタイムであった、早く行かなければと車を走らせる。
しかし、このロスタイム、後になって考えると大きな意味を持ってくるこを知ったのは、玉置山についてしばらくしてからのことであった。

                                     つづく
あとがきについて

平井氏の著作”地球樹の女神”のあとがきには面白い話が沢山載っている、まるでパズルの断片がちりばめられていてひとつひとつを組み合わせていくことにより、次々と新しい事実が現れてくるようである。
ハマモトスエオという名前が出てくる、平井氏が天河の社務所に訪れたときに置いてあった一冊の本の著者である。平井氏が玉置山に魅せられこの山をモデルに小説を書こうと思った最初のきっかけだったようだ。平井氏曰く”著書の名前は誤解を受けやすいので記さない、縁のある方のみ読むことになるであろう”旨があとがきにあり、著書名はもちろん”ハマモトスエオ”とカタカナ読みだけ記してあった。
私は縁があったのだろうか、ハマモト氏の本を読むこととなり、そしてこの本の中には、孫文が中国から日本に持ち込んだ、国宝級の宝物”神盤”のことが記されていた。神盤の取っ手を擦ると妙音と共に水泡がわき上がり、水柱が立ちこの波動を受けた水は全ての病を癒すばかりでなく、出兵の際に水面に映る情景を参考に兵の人事をしたという。なんとも摩不思議な宝物であるという
著書には”神盤”の在処は現在は不明であるとあり、その時には今回こうして大阪で”神盤”を実際に拝見できることになろうとは夢にも思わなかった。

また、あとがきに不思議な人物が登場する、成地紀晶氏である。平井氏は玉置山の申し子、大神霊能力者と評していた、彼が撮った玉置山の写真を引き延ばし部屋の北側に貼っておくと、やかましいくらいあったラップ現象(霊的な現象)がピタッとおさまったとも・・・
そして10年前私はこの不思議な人物とも玉置山でお会いする縁を得たのである。詳しい話は又明日にでも                                  

                                     つづく
玉置山にて(その1)

さて、玉置山である。道を間違えてしまったがとにもかくにも玉置山に到着した、玉置山までは狭くではあるけれど、ちゃんと舗装された道が頂上近くまで出来ている、広く大きな駐車場も完備されておりこんな山奥になんで?と思わせられる。
ここの駐車場はご神体より高い位置に作られているため、この駐車場をつくった政治家は・・・したと伝えられているけれど真実は定かではない。

そうそう玉置神社の悪口も御法度である

”○○はしょせん郷社じゃ、やはり富士にはかなうまいて”と発言されたお偉い方も・・・
どうも玉置山はいろいろあるらしいので気をつけないといけないようである
玉石社を掘り返して、モーゼの石版を捜したなんていうのはもってのほかであろうし、玉砂利を一つ持って帰るなんてのもかなり危ない行為であると思う。なにせここは日本一厳しく潔癖な山でなのだから、心してかからないとどんな災難がかかるかわかったものじゃない。

さて話を戻そう、玉置山についたけれど平日の早い時間のせいだろうか、ほとんど人の姿も見えないし、私のような不心得者はここから先、一歩たりとも進ませないぞ、という雰囲気があたりにたちこめ、かなりの心細くなってきた。
しかし、ここまできて引き返すわけにはいくものかと、から元気を出し自分を鼓舞させながら参道を進んでいく、細い山道はくねくねと上り下りし、かなり年代の経った杉の巨木が空を隠して昼であるのに薄暗い森の中を歩いていくと、ようやく拝殿や社務所が見えてきた、やっと人の気配がする場所にたどり着くことができた、鳥居から社務所までそんなに距離はないのかもしれないのだが、私にしてみれば体中のエナジーが搾り取られたようになって、やっとたどり着いたという感じがする、まったくもってここは不心得者や俗物にはかなり厳しくされる場所のようである。

しかしここまで来ても頂上はまだ見えない、フラフラになった私にはもうこれ以上登ることはままならないようである。お守りでも買って帰ろうと思い社務所に立ち寄ってみることにした。”お尋ねします頂上はまだ先なんでしょうか?”と私、”いいえ、もうすぐですよ、そうですね10分もあればつきますよ”とのお話である。
10分であれば、せっかくここまで来たのだからともうひとがんばりして登りはじめるが、山はますます、雰囲気を嶮しくしていく。

本当に一人で登るのが怖いのである、言葉ではうまく表現できないけれど何とも言えない雰囲気がますます強まってきているのが鈍感な私でさえはっきりと感じ取れた。
バサバサバサーーードドドド”上の方から大きな音と共に山の斜面を何かが転がり落ちてくる、山の上から大きな岩が落ちてきたのか?それとも熊が駆け下りたのか?私の心臓は口から飛び出していないかと辺りを見渡す間もなく、私はそのままへたへたと山道に座り込みそうになった。
うわああーー勘弁してくれよ”ほとんど半泣き状態である。想像してみてほしい、神隠しが頻繁だとか、無用の者は近づくなとか散々脅かされてやってきたのに、誰もいない薄暗い山道でこんな出来事に遭遇した臆病者の哀れさを。
心臓の鼓動がおさまるまで深呼吸をして”いったい今のは何だったんだ?”頂上へいくことまかりならぬ!との神霊の忠告か?

私の図々しさは時折自分でも呆れることがある、”えええい、こうなったら意地でも頂上目指しちゃる、たとえ神隠しにあおうと異界に紛れ込もうと絶対行ってやる”
バカは本当に怖い、普通はここで断念してしまうのであろうが、とうとう開き直ってしまったらしい、私は小さな子供が怖さを紛らすため墓場を大きな声で歌いながら歩くように、バカみたいな声で唄をうたいながら頂上を目指したのだった。     
                                  つづく
玉置山にて(その2)

玉置山の頂上からは熊野灘が見える、もちろん海からもこの山がよく見えるそうである、海からの玉置山の姿は大変素晴らしく、そのために海で働く漁師さん達の格好の目印であり、太古より海からの信仰にもつながっているという神官のお話であった。そのため、神社の大祭になると大人数人でなければ抱えられないような、大きな魚を山の頂上まで運び込み、大祭の神社は山の頂上であるにも関わらず、山海の幸で溢れかえらんばかりであるという。

さて私である、玉置山での目的をほとんど達した気分で頂上からの細い山道を下りはじめて、社務所が近づいてきた辺りで人が登ってくるのが見えた。2人連れである一人は腰にホラ貝くくりつけ、白い衣装で修験道の行者さんのようである、そしてもう一人は若い女の子・・・。
さっきから私の心臓はドキドキしているのである、この行者姿の人は平井氏のあとがきにでてくる”玉置山の主”と呼ばれる成地紀晶氏ではないかと思ったからである。

”いやそうだ、きっとそうに違いない”

と妙な確信が湧いている、登ってくる二人と狭い山道をすれ違う。
いくら普段から図々しくて極楽とんぼの私でもさすがにこちらから声をかける勇気を持ち合わせてはいなかった。
私は心の中で”なんとかしなくっちゃ、頼むよ向こうから声をかけてくれ!”なんと都合のいい思いであろうか、これが極楽とんぼと呼ばれる私の真骨頂ではあるのだけれど。
そして・・・
この強烈な願いが通じたのであろうか、すれ違って10メートルも離れた頃いきなり上の方から
”あんた!平井先生のファンの方やろ?よかったら一緒に行くかい?”
やさしい声が上の方からかけられた。
”え?”私は自分の耳を疑っている間に相手が私を誘ったことを後悔する間を与えるものかと一目さんに二人の元へ山道を駆け上がり息を切らしながらご挨拶をしたのだった。
”は、は、始めまして、私、○○と申します、な、な、成地さんですか?”息を切らせながらやっとそれだけ言うことが出来た、心臓はどきどきしっぱなしである。

”今日は平井先生に頼まれてこの方の○○を△△△△しにきたんじゃよ、あんたも一緒に来なさい”
”はいはいはい”とわけの分からぬ返事をしながら極楽とんぼは2人の後にくっついていった

成地氏は途中の小さな祠にある石仏の前で女の子を座らせて、私には手を合わせてなさいといって、法螺貝を吹き始めた。法螺貝の音を生で聞いたことがある方はそう多くないとおもう。かくいう私も始めて聞いた、もの凄くいい音がするのである、TVや漫画で見るのとは大違いである、腹の底に響いてくる、成地氏は法螺貝を吹き終わると、般若心経を唱え始めた、彼の般若心経は深山幽谷に朗々と響き渡り、まるで気持ちのいい音楽を聴いているようである。
他にもいろいろと詔をあげていたのであるが、私にはその知識が皆無であるため、それがなんなんか今もってわからない、しかし、静かな山に染み渡っていくその声の素晴らしさに驚嘆していたのだった。

”○○(私である)さん、玉石社には行かれたのかな?”
”玉石社?、行ってません、頂上からまっすぐ降りてきましたから”
”それじゃ、ついておいで”

私は言われるがままに二人の後をついていき、古い大きな杉の木が三本まっすぐに天に延びている、この杉も樹齢は二千年、いやもっとであろうかかなりの年代杉である。
その真ん中には、これもかなり大きな丸い石の頭だけが表面に顔を覗かせている、回りにはこぶし大の玉砂利が敷き詰めてある。そして朽ち果てそうな古い木の柵がこの杉の大木廻りを覆っていて、柵の正面には大きな錠前がしてあった。

これが神社の中心である玉石社か?

成地氏は持っていた鍵でその錠前を外し私たちを中へ招き入れてくれた、私と女の子は玉砂利の上に正座し頭を垂れていた。そして玉石社での神事は執り行われた、私は不謹慎ながら玉砂利の上で正座をしていたので、足が痛くて痛くて”早く終わってくれ”と心の中で・・・
神事は滞りなく終わり玉石社から出てきた私は体に変調を起していたのだった

体中が震えるのである、体の震えが止まらない。
”どうしたんだろう?寒いのか?確かに少しは寒いが寒さで震えているのとは少し違うような気がする”
どうしちまったのか?
成地さんが開いていた柵を”バタン”と閉めた。
と同時に、私の震えが足の先から頭の上の方へ抜けていくのである、そして完全に頭の上から抜けきってしまった、終わってしまえば”あれ?”である。
このことは二人には黙っていた、どうしてか判らないけれど黙っていた方がいいと思った。

あっという間の一連の神事は終わり山を下りることになった。

”○○さん、帰りの電車何時なの?”
”○○時の名古屋行きです”
”そうそれなら、新宮に私と平井先生の事務所があるから寄っていくかい?”
”お邪魔させていただきます”

途中の山道で成地さんから玉置山をバックに写真を撮っていただいた(しかし、現在写真は紛失)まあ、私の日頃の行いが悪いせいだろうとあきらめているがそのうち、ひょこっと出てきそうな気もしている。

さて、新宮の事務所である。

マンションビルの2階にある事務所に入ると、平井氏の執筆机と本棚には著書が並んでいる。
机の上はきれいに整頓されていて、ここで執筆しているのかと思ったら、なんだか妙に嬉しくなってきた、もちろん平井氏は不在である。ここで平井氏に会えたらそれはもう凄いことなのだろうけれど、今の私にはまだまだご縁は紡がれていないようである。
私自身はそれほど平井和正ファンではないと思っていた、しかし、著書は全て読んでいるしこうして玉置神社まで来ているところをみると、一般的には相当なヒライストなんだろうな、なんて考えながら、部屋を見回しながらせっかくだからと執筆机を触ったりしていた。

この共同事務所には面白いものがたくさん置いてある、その一つである”地球樹の女神”に出てきた青い玉を(こぶし大)見せて戴いた。今から考えれば詳しく聞いておけば良かったと思うのだけれど、その時の私は多分かなり舞い上がっていたのであろう、普通の思考が停止しているのだ。
”あ、そうですか?”なんて軽く相づちを打っただけであった。
何故かという少し前に強烈なデジャブが私を襲っていた、それはかなり恐怖をともなったもので確かにここには一度来たことがある(心臓がドキドキしている)そしてここに長居をすると・・・
子供の頃はよくデジャブがあったけれど、大人になってからはほとんど経験しなかったのに、ここにきて強烈なやつをお見舞いされた。
この時点でもう私のなかでは”いっぱい、いっぱい”の状態だったのだと思う。ゲシュタルト崩壊である、私は誰?ここで何してるの?

私は夢うつつのまま事務所を出た。

成地さんには新宮の駅まで来ていただき電車が出るまで見送っていただくという、本当に有り難くお世話をかけてしまった

”成地さん、本当にお世話になりありがとうございました。偶然とはいえ玉置山でお会いできて本当に楽しかったです”

私はお礼とお別れの挨拶をさせていただいた。

”○○さん、この世の中には偶然なんてことはないのかもしれないよ!・・・”

”え?”

電車の出発ベルが鳴っている。

私は電車に飛び乗り何度も頭を下げた、電車はガタンと一つ揺れると、あっという間に駅を後にした。私は少し暗くなりかけた外を眺めながら今日一日のことを思い返していた。

”この世に偶然なんてことは・・・”

つづく

第2章

神盤拝見

話はもどり翌朝大阪のホテルである

かねてより楽しみにしていた”神盤”をいよいよ拝見させていただく日がやってきた。思えば”神盤”のことを本で読んでから何年たったのであろうか?
ハマモトスエオ氏の本に書かれていた不思議な鍋が大阪の”○の会”にあると知ったのは真和界の柿内さんからであった。
とある日曜の朝、東京駅近くにあるホテルの1階喫茶で私は柿内さんと待ち合わせをしていた別段特別な用事があったわけではなかったが近況報告がてらにお話を伺おうと連絡を差し上げたところ、わざわざここまで来ていただくこととなった。
いろんな話をしている中で、柿内さんは”先日、大阪へ先生といったときに、大阪で正心調息法を普及、講習をしてくださっている”○の会”というところにお邪魔した。その時に大変不思議な物を拝見してきましたよ”
”なんですか?不思議な物って”
”鍋です、孫文が日本に持ってきたといわれていて、堀川先生が”○の会”に寄贈されたものらしいですよ”

”鍋・・・鍋ですか?”
”そう、不思議な鍋ですよ、こう、取っ手を擦ると中に張ってある水が泡立ち水柱が上がるんです”

”え?それってもしかしてハマモト氏の本や中丸薫さんの本に載っていた、あの鍋のことですか?”

”そうです、それですよ”

”あれはたしか所在が不明ということでしたけれど、そんなところにあったんですか”

そして私の頭の中にはまたまた極楽とんぼが飛び始めた。

これは絶対見てみたい、しかし国宝級とかいわれるものなのにそんな簡単には・・・
こうなりゃ言ったもの勝ちだな、断られても元々だし(心の声1)

”あのーー柿内さん、私も拝見できないでしょうか?”
”あ、いいんじゃない”
”へ?”
”会長の名刺あるから差し上げますよ、○○さん(私)のことも話しておきますから”
いやー何でも言ってみるもんだな(心の声2)

つづく

そんな経緯があって大阪”○の会”の○蔭会長とはお知り合いになることとなり、塩谷博士の講演会でも○蔭会長さんとはご挨拶をさせて戴いたりしていたおりもおり、会長さんから玉置山に一緒に行かないかとお誘いを受けたのだった。
というのも真和界柿内さんが昨年玉置山に参拝にいかれた時に、玉置山で面白いことがあったという話を会長がお聞きになり是非、玉置神社に参拝をしたくなったというのである。

柿内さんの玉置山での面白い話はなにかって?

柿内さんは玉置山で不思議な某カメラマンにお会いしたそうで、いろいろお話を伺った時に、カメラマン氏曰く
”今、平井氏はある事情により玉置神社に参拝が出来なくなっている、あなたも(柿内さん)あまり詳しくこの山のことをお知りにならない方がいいかもしれない”と・・・

一体このカメラマン氏は誰だ何だろうかと考えたけれど見当も付かない、地球樹あとがきにはあのころあまり有名ではなかったが、今は超有名人となった女性ヌードを撮らせたらピカイチのカメラマン○○氏の話が載っていた。
彼が撮った玉置山の写真集が出るという話である、しかし、この写真集いまだに発売されていないようだ、いや、されているのかもしれないが私はしらない(少し調べてみたのだけれど)どなたかご存じなら教えていただければ幸いである。
そして柿内さんが会った人が超有名カメラマン○○氏かどうかもちろん不明である。

某カメラマン氏は以前は東京に住んでおられたのだけれど、今はこの近くに引っ越してきて写真を撮り続けているとのことのようであり、”塩谷博士は存じないけれど私が指導を受けている人が”塩谷”という姓であるという話をされていたそうである。

そうそう、柿内さんは御夫婦で参拝されたのですけれど持っていたカメラで撮影したのだけれど、写真一枚も写らなかったと・・・
唯一、使い捨てカメラで取った一枚だけが写っていたというお話でした。

玉置山の写真といえば私が成地さんに撮っていただいた写真はずっと行方不明になっていたのですけれど、なんと昨晩見つかった。
成地さんが玉石社で神事を行っている写真(これは私と一緒の時ではなく、別の機会に撮影された物)もいっしょ見つかったのでさっそく北側の壁に貼って置いた。

                              まだまだつづく
さて、話がそれてしまった。

高層階ホテルの窓からまぶしい朝の光が射し込んできている、バスタブに熱いお湯をたっぷりと張りゆっくり体を沈めながらこれからの予定に思いをはせていると携帯の呼び出しが鳴っている。
”もしもし○○ですが”
”もしもし、ZZRです、”
”へ?”
”いやーー何とか都合をつけたので、これからそちらへ向かおうと思ってるんですけれど”
”は?”
”ですから、そちらへ・・・”
やっと状況を把握して我に戻った。
”あ、そうですか!!それは良かった、でもこれから大阪じゃ間に合わないと思いますので名 古屋経由で新宮で待ち合わせませんか?”
急きょZZRさんの参加が決まった、私も一人では心細かったので嬉しくなってきた、だいたいこの怪人揃いのメンバーで普通人は私だけだし、ここで大怪人が登場してくれれば私も安心というわけだ!

ホテルのラウンジでバカ高い朝食を食べて駅へ向かう、天王寺から一つ目の駅で降りて迎えが来るのを待っていると、綺麗なおねえさんが近づいてくる。へえー大阪にも綺麗なお姉さんがいるんだなと思っていると”○○さんですか?”
”あ、はい”
”こんにちは、○蔭でございます”
”あ、お奥様でしたか?”
”いえ、娘です”
”あ、あ、これは大変失礼しました、以前奥様にご挨拶させていただいたときに随分お若いなという印象があったものですから”
”よく言われるんですよ、でも母は本当は結構年なんですから”とけらけらと笑って、大阪なのになんて上品な娘なんだろう!

私はどうも大阪の女の子に偏見があったようだ、しかしそれは私に罪は無いのである、なぜなら私が今まで今まで出会った大阪の女の子は、”がちゃがちゃ娘”ばっかりだったんだもん。
私はすっかり娘さんのファンになってしまい、命の会に着くまで一人でやたらとしゃべりまくっていた、だからもう一度一人で行けと云われても道順は全然覚えてない。

4階建ての凄いビルである、宗教法人は儲かるのかな?一体生業は何なのだろうか?そんな余計なことを考えながら中に通されたのだった。
                        なかなか本題にいかないけれど続く

ついに
ご神盤に触れる

私も含め私の友人もビル全体が自宅だという知り合いはいない。中に通されるとすでに玉置山の神官のお母様で、霊能者でもある”松村先生”と○蔭会長がいらっしゃった。
私はいわゆる”霊能者”という方は今まであったことがないし、TVでも”ぎぼあいこ”さん位しか知らないのでいきなり”あなたの後ろに○○が憑いている!エーーーイ”とか言われたらどうしようかなどといらぬ心配をしていたが、そんな恐ろしいことを言われることもなくホッとしたものだった。
”さあ、時間もないのでご神盤をお見せしましょう”と会長に促され、エレベーターで4階まで上がった。余計なことではあるが私には自宅にエレベーターがある友達も知り合いももちろんいない。
4階の部屋に通されると龍の絵や堀川先生の写真、そのほか凄そうな物が飾られてある、正面には立派な書が掛けられており、塩谷博士の直筆であるという。この部屋の中のお宝を”なんんでも鑑定団”に出したらどんな評価が下るのだろうか?などと相変わらずふざけたことを考えている自分が情けなかった。
部屋の畳の上にはあの”神盤”が置いてあった。当たり前だが写真にあったものと同じでそこにはすでに水が張ってあった。
松村先生はさっそくいろんな質問を会長になさっている。そして”触ってよろしいですか?”と大阪弁で聞いた。松村先生は今は東京在住だが出身は大阪らしい、大阪に来ると自然に大阪弁になるようだ。”おーー金色の光が降りてきてますな”と先生・・・
それじゃと私も触ってみる、目を閉じて波動をゆっくりと・・・
”い、いかん、なんにも感じない”黄金の光どころか冷たい金属の感触だけである。こういう時は一般人は惨めなもんである、ZZRさんとかいれば”おお、これは○○ですな”となるんであろうが、いかんせん私はただの人である。

”みなさん来られる前にすでに水に波動を入れておきました、お水飲んでみますか?”と会長
全てが癒され過去のカルマさえ消し去るという水である、これを飲まずにいられようか!
せっかくだからコップに目一杯注いでしまった水を喉に流し込む、”ゴク、ゴク、ゴクゴク”一気に飲み干した、体の中へ宇宙の波動が入り込んでいくようだ!

そんなわけは・・・ない。普通の水であった。こんな時一般人は寂しいですね、全然わからないのである。”猫にこんばんは”あ、小判か?”馬の耳に粘土”いやいや、念仏です。

それではと会長が神盤の取っ手に手を置き、取っ手を擦り始める。

”ウオオオオン、ウオオーーーーオン”妙音と共に中の水が泡立ち始め、水しぶきが飛び小さな泡は水の表面に浮き出てきて十字架の形を作っている。
”手を水の中に浸けてみて下さい、底に手をつけずに少し浮かすようにして。波動が感じられ
ると思います”会長がおっしゃった。
さっそく云われたとおりに手を水につけて静かに目を閉じた・・・・・

どうだったかって?

あえて結果は書かないことにする、こんな時は一般人は悲しすぎるのである・・・
私には才能がないのであろうなと何だか少し悲しくなってきた。

                           連載もうやめようかな?

一昨日までは台風が・・・と心配していたけれど素晴らしいお天気に恵まれた。今日は移動日明日は玉置神社参拝であるがこのままなら両日共に晴天になりそうである。最近は出かけるときは雨に降られることがなくなったようだ、これが世にいう”日頃の行いがいいから”なんであろうか?いやいや、私はこの頃本気で日頃の行いがよければ天気は付いて回るのではないかと思うようになってきている、とうとう私も精神世界系の住人になってきたのかもしれないな・・・。
 新宮までの車中で交わされた会話にも会長夫妻や松村先生も出かけるときは必ずお天気になると話していた。このメンバーなら傘の心配はないなと考えながら、そういえば塩谷先生もゴルフになると「塩谷日和」といわれるくらいお天気に恵まれるという話を思い出していた。
夕方新宮に着きレンタカーを借りて、十津川温泉に向かう。十津川温泉までは片道1時間超の山道である、やはり玉置神社は遠いところである。
夕食を食べて新宮駅に遅れて到着するZZRさんを迎えに行く、山道はすでに真っ暗で一人で運転しているとあまりいい気持ちはしない、車もない大昔は徒歩で山道をゆけば狐や狸、妖怪の一つや二つは出てきても全く不思議じゃない土地柄で、今でも神隠しが・・・なんて話もまんざら嘘に思えないほどのところだある。まあ大怪人ZZR氏と一緒だったせいか”ものの怪”にも出会うことなく無事に旅館に戻った。
旅館の露天風呂に入り深山幽谷の気を全身に受けながら夜は更けていき、ZZRさんと2人で早朝玉置山のご来光を見に行こうと約束し就寝した。

早朝、外はまだまだ真っ暗である。着替えを済ませて旅館を出る。と思ったが、玄関がロックされていて外に出られない、窓から出ようにもこの旅館崖っぷちに立っているので下手すると真っ暗な谷底に落っこちて、十津川の藻屑になりかねない。まさか旅館の人を起こすわけにもいかず、露天風呂から慎重に外に出たが、知らない人が見たら二人組の泥棒だな、なんて思って一人でクスクス笑った。一緒にいた大怪人は気味が悪かったに違いない。
玉置山の曲がりくねった道を車で飛ばす、と・・・途中から霧が出始めた。この時間対向車などいないけれど、道幅がわからなくなる。一つ間違えれば真っ逆さまである、霧はどんどん濃くなっていき視界は1メートルもない。平井氏の作品で異界にさまよい込む話のくだりが、この状況にそっくりなことを思い出した。私が運転しているのだけれど隣の大怪人もさすがにビビッテいる、異界に紛れ込んだことがではない。私の運転にでである。
こんなところで谷底におっこったら発見されるまでに相当かかるだろうな、なんて思ったのであろうか”運転、替わりましょうか?・・・。
昔、暴走族だったという噂のある大怪人は(笑)私と運転を代わり少し安心したように一気に山頂を目指した。

                            まだまだつづくのであった

ご来光を目指して朝靄の中、息を切らせながら頂上を目指してひたすら歩を早める・・・頂上に着いた、雲海の中から素晴らしい朝日が顔を見せている。
”ヨウド卵光の黄身のような色だな・・・”とつぶやく。しかし何で私は場違いな表現をするんだろう?もっと他の例えようがあるだろうに・・・、所詮私の表現力はこんなものさ、と自嘲気味になる。ZZRさんは何を云ってるんだろうこのオバカ!という顔をしている。
まあ、それにしても素晴らしい朝日であることには間違いない、車で登ってくるときの霧は雲海となって下に漂っている。立ったまましばらく瞑想してみる、山の霊気や神気が体を癒してくれるようだ、私には本当の意味でこの山の良さが解っていないのかもしれないけれど、凡人としてでも充分にこの朝の素晴らしさは感じ取れたようだった。

旅館に帰りみんなで朝食となるが、このメンバーなので最初は普通の話でもいつしか不思議関係に・・・、そして話はなかなか尽きない。

さあ、それではと玉置山に出発、くねくねと曲がる山道を30分も車で登ると大きな駐車場に着く。
タクシーで先に着いた、会長御夫妻と松村先生は正規の参道を歩いて神社に向かわれたようである。少し送れた我々は裏道から(本当は帰り道になっているところ)神社に向かう、実は裏道の方が距離も短く道も整備されている(笑)随分前に出た会長達よりかなり早く社務所についたので、途中の参道まで会長一行を迎えに出た。
会長達は追い越された覚えもないのになんで後から来た我々が先にいるのか驚いているようだった。

そろそろ今年中にはこの話も完結させなければと・・・


さて話もいよいよ佳境に入ってきたようです、長い前振りでさぞやみなさんお疲れでしょう(笑)もう少しの辛抱だと思いますので、もうしばらくおつき合いの程を・・・

社務所にて神官に玉置山の歴史などを聞かせて貰い、かなり重要であろう、ふすま絵などを見せていただいたり、写真を撮ったりしているうちに、玉置山の神様にご挨拶の時間がやってきたのだった、我々は若き神官(松村先生のご子息)に連れられて、神社の拝殿に座った(なんと玉置山の神様にご挨拶するらしい)正式参拝というのだけれど、神官の神事の後に一人一人前に進み出て作法に則りご挨拶するのである。

私は一番右端に座っていたのだけれど、神官が”それでは端の方から順番に作法によりごあいさつを・・・”
”げげげーーー、ゲゲゲの鬼太郎である”わたしゃ作法なんか知っちゃいないのであるから、それも、こともあろに玉置山である、もしも神霊に無礼があった日にゃもうどうしたらいいんだ!!!
私は左端に座っていた○蔭会長に目で懇願した。”お願いします、先にやっておくなさい”とさすが百戦錬磨の森蔭会長である、私の窮地を察したか、すかさず前にでてご挨拶を始めた。
私はホッとするまもなく、次々に挨拶していく方々の一挙手一投足、呼吸の間合いまでも、見逃すものかと、必死に作法を覚えた。

久々に必死になった・・・。

なんとか私の番になったけれど無事に終わったようだ。しかし、せっかく来たのだからと、ゆっくりご挨拶させていただきました(まあ、私は基本的に神社では頼み事をしないようにしているので、ご無沙汰でしたまた今回もやってきました、よろしくお願いしますと)

その後はご神木のところで、神官をまじえて記念写真を撮ったり(このご神木は樹齢は千年とか2千年とかだよな、木のうろにトトロが住んでいてもおかしくないな、なんて思いながら)

さあ、いよいよ最後の玉石社である。会長御夫妻、松村先生は先に登って行かれ、我々は神官さんと少しお話をしていた。
玉石社に行く前に、神官曰く”玉石社はかなり高い霊力があるようです、お母さん達(松村先生)少し登りがきついけれど、参拝して行かれた方がいいですよ”と・・・

神官さんとはゆっくりお話がしたかったのだが、お勤め中ということもありご挨拶をしてから遅れて玉石社に向かう。すでに到着していた3人と合流後に、みんなで玉石社で手を合わせる
会長が大断言を10回唱え、みんなで唱和。
終わると、松村先生”おーー来た来た”と何かメッセージを受け取った様子。
”ようやく5人揃ったか、待っておったぞ!”と言っているとか、お前達は・・・(ここからは秘密(笑))

ZZRさんも5人揃ったところで、玉石社の雰囲気が一変したとおっしゃたし、何かきてたのかもしれないが、凡人連盟の私は相変わらず何も感じない(笑)
さて、時間もないし帰ろうかという段になったら、会長奥様が立ったまま動かなくなってしまった。

”あーーなんか動かれへん”

松村先生とZZRさんは一緒に除霊というか、なんというか・・・
功を奏したのか、奥様は元通りに・・・。

”だいじょうぶですか?”と私、”なんかとっても恥ずかしいです”と小さな声で消えてしまいそうな奥様・・・”私、こういうことは無いんですよ(霊とか感じたこともないし)”とますます小さくなって・・・。

○蔭会長はどうどうとしたもので”この玉石、一つもろていこうか?”
ZZRさん、松村先生、私は必死で”それはやめた方がいいですよーーー”
会長”あ、そうですか?”

さすがである、私はこの時ほど会長の凄さを身にしみて感じたことはない(笑)

さあ、山を下りて帰路へ・・・
はっきり言ってこのままでは帰りの電車に間に合いません、なんせ関空からの飛行機を予約しているので、電車を乗り過ごせば大阪泊まりになってしまいますので、なんとしても、電車に乗り込まねばなりません。にもかかわらず帰り道さっそく道を間違える、二股道でどっちに行けばいいのだろうと、車を止めて地図を見ながら考えて、”よっし!左だ!!!”、出発しようとすると、なんと屋根に赤色灯をつけた車が近づいてくる。”やったーパトカーだ”、”すいません、新宮駅に行くにはどういったらいいんでしょうか?”
警察官は”あ、右に道なりで行って下さい”・・・

そうえいば玉置山から帰るときに、”あー間に合わなかったらどうしよう?”と、考えていたら、”ぜったに間に合わせるよ”と頭に中に聞こえたような・・・
そして、こんな山の中にパトカー・・・。そんなことを考える暇もなく、びゅんびゅん山道を飛ばす、隣に座っているZZRさんも乱暴運転にさぞや迷惑だろうと思いきや、グーグ−寝てる(笑)さすが大怪人!!!

新宮駅のレンタカー会社に着いたのは、電車出発の5分前、ガソリン精算もそこそこに駅へダッシュ!!!、なんとかぎりぎりで間に合いました。”玉置山の神霊ありがとう!何とか間に合いました、感謝です”と・・・。
ZZRさんは”玉置山の神霊を呼ぶとまだついてくるんだよな・・・”
私は”お帰りになってもらたほうが・・・”
尋常ではない会話をしながら、電車は大阪へ・・・

さて、徒然なるままに書きつづったものですから、読みづらかったかもしれませんけれど、ご容赦願います。私の玉置山の旅は10年前に始まりました、あの時に1999年にもう一度来るのかな?なんて考えたときは、まだまだ先のことと思っておりましたけれども・・・
平井和正氏によれば、現在、玉置山は閉じられており無用の者は近づくなとか(クリスタルチャイルドより)、ただ、平井和正氏の現在はもうすでに過去のことになっているので、すでに玉置山はまた開かれたのかもしれません、なにせ玉置神社は、この世が終わるときに開かれる”ハルマゲドン神社”なのですから、○蔭会長にその話をしたら、私は”玉置神社は今一番活発に活動しているように感じる”と・・・。

私にとって玉置山は、精神世界のことを考えさせられる大きなきっかけでした、そしてここをスタートとして、私や私の回りのことは変わっていたようです。このHPを立ち上げることも玉置山に行かなければなかったかもしれません、そして、このHPをきっかけとして素晴らしい方々達との出会いがあり、そしてこれからも沢山の方達とお会いできそうです。
大いなる玉置山の神霊に感謝して、この連載を終わらせていただきます。

これをお読みになって興味が湧かれた方は、奈良の奥の奥、深山幽谷の玉置の御神霊にご挨拶にいかれてはいかがでしょうか?
た・だ・し、玉置山にご縁のある方は厳しく扱われますから、一度や二度の登ることを拒否されたら、精進潔斎、斎戒沐浴、心を磨きなおして何度でもチャレンジして下さいね(笑)

                           1999・12/15